台南の街には台北や高雄のようにMRTはありません。そこでちょっと遠いところまでお出かけする時にはバスを利用します。台湾最古の街、安平までバスに乗って行ってきました。
バスルート
赤崁楼前のバス停から乗車して約30分、安平に到着です。
安平ってどんなところ?
安平はかつて「大員」と呼ばれており、これが「台湾」という地名の由来となりました。ここには台湾のルーツを探れる史蹟が数多く残っているほか、夕日観賞や夜遊びも楽しめます。また、美しい海岸風景を眺められ、グルメも満喫できます。
台湾観光局HPより
オランダ東インド会社→鄭氏政権→清朝→大日本帝国と、支配者が変わるたびに翻弄されてきたこの街の歴史を物語る多くのスポットがあります。
安平のおすすめスポット
安平樹屋
島のほぼ中央を北回帰線が通過する台湾。
冬でも温暖な気候でしかも高温多湿、当然草木は豊かに生い茂ります。そんな土地柄ゆえにガジュマルの樹に浸食されてしまった廃墟があります。
それが台南の観光名所にもなっている「安平樹屋」です。
安平樹屋の入口。ここで入場料を支払います。安平樹屋はこの敷地内の一番奥まったところにあります。
安平樹屋はもともと1867年にイギリス人によって設立された商社「徳記洋行」の倉庫でした。
清朝末期の台湾にはアヘンや樟脳を扱う多くの海外商社が進出していました。しかし日本統治時代に入ると交易権は日本政府の独占になり、海外商社は次々と撤退してしまいます。
徳記洋行の社屋・倉庫は日本の会社に転売されました。やがて使われなくなった倉庫は徐々にガジュマルの樹に浸食され現在の姿になりました。
自然の力って恐ろしい…。
安平樹屋まで向かう途中に「朱玖瑩の旧居」と「徳記洋行」があります。
朱玖瑩の旧居
台南はかつては塩業が盛んな土地で今でも塩田が多く残っていますが、朱玖瑩は財政部塩務総局という塩を扱う役所の局長していた人だそうです。
入口を入ってすぐ正面にあるのが朱玖瑩の旧居で、ここには彼の残した書が展示されています。
徳記洋行
朱玖瑩の旧居の左手にあるアーチ型の回廊のある洋館が前述の徳記洋行の社屋。倉庫はあんな無残なありさまになってしまいましたが、こちらはなんとか昔の姿を保っています。
建物の中は当時の貿易の歴史を伝える展示館になっていました。
安平古堡
安平古堡はかつてゼーランディア城と呼ばれ、オランダ東インド会社によって1624年に建てられた城砦です。
1661年には長崎・平戸生まれの明の軍人、鄭成功に攻められ陥落しました。彼はこの地からオランダ人を放逐し城の名を安平城と改めます。
その後は清による支配や日本統治時代を経て、大戦後に国民党政府によって安平古堡と命名され今の姿になりました。
現在は展望台になっている白い塔は日本統治時代のもの。長い時を経て建設当時の名残りを留めているのは赤レンガの城壁だけです。
夏草や 兵どもが 夢の跡
ふと芭蕉せんせいの句を思い出しましたが、季節は冬の真っ盛りでした。
安平天后宮
1668年に前述の鄭成功によって造られた、台湾で最も古い媽祖廟と言われてるそうです。
廟の前の広い駐車スペースには露店が並び、シャボン玉を飛ばす子供や冷たいドリンクを飲む人など、思い思いに過ごす様子がいかにも休日の午後らしい雰囲気を醸し出していました。
私もここで黒糖タピオカミルクを飲んでひと休み。
安平老街
安平古堡の城下町としてつくられた安平老街。
その中でも延平街はサクサクのえびせんやドライフルーツを売るお店が多く、ちょっとしたグルメスポットになっています。
えびせんを買ってみようかとお店に寄ったものの、かなりの量なので諦めてしまいましたが。
最後に
私が訪れたのは元旦(祝日)でしたので、安平の街はかなり多くの家族連れやカップルで大変な賑わいでした。
狭い通りはバイクや自転車で溢れ、帰りのバスがなかなか来なかったり。
のんびりと観光がしたいのであれば平日の訪問をオススメします。